Keiko's Yokohama Journal

生活、仕事、家族、健康、美容、政治や国際情勢などを横浜から発信

人生の目標を立てる上で本当に必要なことは

目標倒れに終わらないための計画を作りました!

2023年に入って早くも1週間が経ちました。新年明けましておめでとうございます。今年はどのようなお正月を過ごされましたでしょうか?

私は、1日の朝、東京の代官山の教会の礼拝に出席後、そのまま渋谷駅近くまで歩き、セルリアンタワーのホテルで新年を過ごし、そこでじっくり時間をかけ、今年の計画を立てました。目標は既に年末に立てており、ここでは具体的なアクションプランを綿密に、しかし、何かがあった時も考慮してざっくりしたプランを立てました。

去年の反省から計画までを約1週間ほどかけて今年の目標を作りましたが、何故そこまで時間をかけたのか、それは、昨年の目標がことごとく未達成だったからです!

これにはさすがに自分もショックでしたが、何故未達成になってしまったのか、それは実行可能なプランをほとんど立てていなかったからです。

実はこれは今回が初めてのことではないので、さすがにこれはダメだ、ということにようやく気付き、今年は慎重に吟味し、目標や計画を立てました。お蔭で、年が明けてから1週間経ちましたが、今の所、ほぼ計画通りに実行できています。

目標設定の仕方、計画の立て方については、様々な書籍などを読んだお蔭で実行可能なプランになりました。これについては、機会がありましたら、別でお話したいと思います。

目標を立てる上で最も重要なこととは

そんな中で、正月3が日の最後の日の3日、旧約聖書の歴代誌を読んでいたところ、自分にはっきり示されたことがありました。それは、神を知るための知識や知恵を求め続けなくてはいけない、ということでした。

最近の傾向として、世の中の不確実性や不安が高まっているせいか、ネットや書籍などではこの世で働く為の知恵や知識、お金を沢山稼いだり成功するための知識を求めるものが異常と言える程に多くなっているのは、前のブログでも述べました。

そんな中で、人間はあらゆる自分の願望や欲望を目標とし、それに向かって頑張ることが美徳とされており、それが私達を幸せにして満ち足りた生活を送ることが約束されていると思い込んでいる人達が非常に多いように思います。お金を稼いだり、願望をかなえること自体は悪いことではありません。そういった情報も役に立つことがあることも分かっています。しかし、それが行き過ぎたり、お金に執着するようになると問題が起こります。また、お金を沢山稼いだり、成功したところで、最終的にはイエス・キリストを信じない限り、私達は最終的には天国へ行くことができません。

人の計画や願望に関して、旧約聖書箴言19章21~23節ではこう述べています。

 

人の心には多くの思いがある。しかし、主の計画こそが実現する。

人の欲望は自らへの辱め。貧しい人はまやかし者にまさる。

主を恐れるなら、いのちに至る。満ち足りて住み、わざわいにあわない。

 

つまり、私達には多くの願望や計画があるが、所詮、それが主の御心でなければ実現しないということ、そして、私達にとって本当に満ち足りた人生というのは、神様を恐れることから始まる、ということです。

何故なら、神様は全知全能であり、私たちの知識や知恵をはるかに超えられているからで、この神様の中に、私達がこの世で生きるためのあらゆる知恵と知識の宝が全て隠されているからです。

しかし、これはあくまで人間による知恵や知識を排除するものではありません。私達の中には、本当に知恵に満ち溢れている人達も存在し、私も実際に何人かそのような方達を知っています。そして、そのような方たちからのアドバイスや助言も大事です。しかし、彼らの助言や著名人による名言などは結構、聖書の言葉から来ていることが非常に多いです。また、彼らも所詮人間ですから、この世をお創りになった全知全能の神様の知恵や知識には絶対にかなわないわけです。

私の場合、メンターとして慕う友人や、信頼できる人から助言を受けることがありますが、最終的には、これが自分にとって神様が望んでいることかどうかを吟味します。つまり、最終決定権は神様であり、これは神様を深く知らないと、本当に自分にとって最善の決定はできないわけです。

正月3が日に改めて、このような事を示してくださった神様には感謝です。今年は、神様の力を借りて、目標を達成したいと思います!

また、このブログを読んで下さった皆様の一人でも多くの人達が、神様を知りたいという思いが起こされるように、お祈りしています!

今年もどうぞよろしくお願いします。

注意:ここで述べている聖書とは正統派プロテスタントが使っている聖書を指し、統一教会モルモン教エホバの証人といった異端の教えや聖書とは全く関係ありません。

今年1年を振り返って

2022年も大変な年となりました

今年もあと残すところ2日となりました。2020年にコロナが世界中で始まってから、世の中は良くなるどころか、徐々に悪化の方に向かっており、今年はついにロシアがウクライナと戦争を始めました。

また、それ以外でも戦争の影響による物価高、地震や火事、火山の噴火、そして日本だけでなく、アメリカでも広範囲に渡る猛吹雪が続いており、死者が多数出ています。

今後も恐らく、ロシア対ウクライナ戦争は続き、自然災害も増え、コロナのような感染症も残念ながら続き、そして私たちの生活にも大きな影響を及ぼすものと思われます。

全ては聖書の予言通りに行われている

しかし、私はこれらのことを見ても何も驚きません。何故なら、これらのことは既に聖書で予言しているからです。これらの様な自然災害は今後もますます増えると新約聖書において、イエス・キリストが予言していますし、今後の世界は、ロシアが台頭して西へ進み、世界統合への道へ進むことが旧約聖書に述べられています。

聖書によると、今後私たちの生活はますます困難なものになると述べています。現に、今では中国があと数年で台湾を侵攻してもおかしくない状態になりました。中国が台湾を攻めれば、アメリカとの戦争になり、中国はついでに尖閣諸島も狙うでしょうから、日本も戦争に巻き込まれることになるでしょう。

また、今後の世界統一の流れを考えると、日本はいずれ中国かロシアの領土、もしくは中国とロシアで半分ずつ所有される領土になるのではないかと思います。現に、実はウクライナを攻める前にロシアは日本を攻めることを計画していたとの情報がネットニュースで出ていました。日本もいずれはウクライナのようになるのでしょう。

今後、世界は日本も含めてますます緊張状態に

今年はこうしてのんびりとクリスマスと年末年始を迎えられそうですが、これがいつまで続くか分かりません。ウクライナのように、つい昨日まで平和で普通の日常生活を送っていた市民たちの生活が一瞬にしてガラリと悲惨な状態になるのはそう遠くはないかもしれません。

事実、第二次世界大戦の時もそうでしたが、戦争という状況になれば、私たちの生活は一瞬にして急激に変わります。今まで平穏に過ごせていたのに、一気に緊張と悲しみ、絶望の淵に追いやられます。

日本でもつい最近、岸田総理が来年度からの軍事費の大幅増を発表しましたが、事がだんだん重大になりつつあることを肌で感じています。

ウクライナがロシアに勝つことはおそらくない

日々ロシアと戦っているウクライナの人達には申し訳ないと思うが、この戦争でウクライナが勝利をすることはなく、このまま泥沼化し、世界を巻き込んでますます混沌とした状態になる可能性が高い。現在はアメリカが武器などを支援しているが、今後の台湾有事に備えてそちらのリソースも確保しなくてはいけないため、戦争が長期化すれば、アメリカが今までと同じようにウクライナを支援し続けることが難しくなるであろう。西側諸国も正義を盾に、ウクライナを支援しているが、その正義も今後、だんだん通用しなくなってくる。

そう、聖書の予言通り、今後は不法の者が世界を牛耳る時代となるのだ。

ひょっとして神様がご自身の計画を思いとどまり、私の予想が外れて、ウクライナが勝利したとしても、それは一時的なものであり、ロシアはまた攻めてくるであろう。そして、中国からは台湾、尖閣諸島、沖縄、ロシアからは北海道を再び狙って攻めてくるのは避けられない事実だと思われる。

聖書の神様を知っている人は、決して失望しない

このように先行きが分からない世の中になり、人々の生活がますます不安定になっている中で、今の日本を見ると、貧困化が進み、一方で少しでもお金や財産を得ようと副業をしたり、投資をしたり、自己啓発関連のものにのめり込み、早起きをして沢山のタスクをこなそう!、みたいなことがSNSや書籍などで最近非常に多く見かける。とにかく、お金を稼ぐにはどうしたらいいか、みたいなものがわんさか溢れているのだ。

これは少し異常な現象と思うのだが、これは裏を返せば、彼らの不安の表れであり、何か絶対的なものにすがれるものを持っていない多くの人達はお金にすがって生きていこうとするのだろう。けれども、戦争時においてお金や財産は全く役に立たない。ましてや、お金を持っているからといって、自分が死んだ後、天国へ行けるという保証は全くない。

聖書の神様を知っている人達は、そもそもこの不完全な世の中に臨みを置かず、イエス・キリスト再臨後の素晴らしい世界を待ち望んでいるため、この世の中で生きていても失望することはない。たとえ、戦争で殺されたとしても、天国というもっと素晴らしい世界へ行けるので、日本が戦争状態になったとしても失望する必要はない。

私が願うに、日本が更に深刻な状況になる前に、一人でも多くの日本人が聖書を読み、イエス・キリストを信じて頂きたいと思う。神様は、聖書を通して私たちの世の中の見方を180度変え、失望から希望へと変えさせてくださる唯一のお方である。

私達はこの世でのことについてだけ考えて生きるのではなく、死後のことも踏まえて生きていく必要がある。死後の世界は永遠なのだ。死後、私達がどこへ行くのかは生前にイエス・キリストを信じるか信じないかによって決まる。

それは、

イエス・キリストを信じて、救われる(天国へ行く)

か、

イエス・キリストを拒絶して、永遠の裁きに遭う(地獄)

か、の二択だけなのである。その中間というものは存在しない。これは生きている時にしか決断できず、死んでからでは遅いのである。

 

 

 

 

 

 

 

朝の早起きをやめてその後、生活が随分快適になりました

早起きをやめて、生活のストレスがなくなりました

前回のブログで、「冬の早起きは本当に必要か?」について書きましたが、その後も早起きをしないて、太陽が昇る頃の6時半から7時くらいに起きることを続けたところ、朝起きる時の嫌な気持ちやストレスがすっかりなくなりました。

この時間になると、さすがに体の方から起きたくなるのか、自然とベッドから起き上がるようになり、その頃にはタイマー設定したヒーターで既に部屋が温まっているので、起きること自体が結構快適です。その後は、窓をしばらく開けて空気を入れ替え、その間に顔を洗って髪の毛をといたりしているうちに、体がシャキーンとなります。

冬の早起きは漢方医学に反する

後で調べて分かったことですが、漢方医学においては、冬に早起きをしてはいけない、ということが分かりました。人間は、季節の変化に合わせて睡眠時間が変わるそうですが、調べて納得です。興味ある方は、ネットで検索すると出てきますので、読んでみるとよいと思います。

やはりそもそも人間の生理現象に逆らって生活するのは、それ自体がストレスなんですよね。朝早く起きて、長時間活動すればいいのではなく、自分の人生にとって、本当に必要なことだけを短時間で効率良く動いた方がより充実感が増すと思いますが、皆様はいかがでしょうか?

ちなみに私は、夏になると太陽が昇り始める4時半か5時には目が覚めます。必然的に、夏は活動量が多くなり、睡眠時間も減ります。なので、春や夏の時期は活動量が増え、その分、秋や冬は活動量を控えめにし、睡眠時間が多いライフスタイルの方が自分には合っている、ということがようやくわかってきました。季節が違うのに、一貫して同じ時間に寝て、同じ時間に起きる、というのはどうも人間本来の摂理に反しているように思います。

早起きやめたら光熱費が激減!

驚いたのは、光熱費が高騰しているこの時期に、去年と比べて電気代が下がっていたことでした!いつもならこの冬の時期は1か月の電気代が1万円を超えるのに、先月の電気代がなんと、3分の1に減り、4千円弱になったことにびっくり!!

何故これだけ減ったのか、早起きをやめたことによってヒーターやエアコンが稼働する時間が遅い時間になり、朝陽が出かかる頃にヒーターをかけるため、比較的すぐに部屋が暖かくなるということと、厚着をすることで、設定温度が低くしたことが要因ではないかと思います。

アメリカでは、部屋全体が快適だったので、厚着をする必要がなかったのですが、日本ではそういうわけにはいかないので、今年はレギンスやフリースなど、あったかグッズを使用したら、意外と快適になるということが分かりました。なぜもっと早くやらなかったのだろうと思いましたが。

とにかく、私にとって冬の早起きは三文の徳にはならず、むしろ太陽が出ると共に起きた方が体調も良いし、ストレスもなく、日中は全く眠くならず、光熱費の削減にもなり、メリットが多いです。

 

 

 

 

冬の早起きは本当に必要か?


このところ、随分寒くなり、朝がなかなか早く起きられなくなりました。アメリカではセントラルヒーティングが24時間動いていたので、どこのお部屋にいても快適でしたが、電気代がアメリカの4倍もする日本で家全体にヒーターを24時間つけっぱなしにしておくと、電気代がばかにならないので、家全体を暖房にするのではなく、使う部屋だけしか暖房が使えず、日本の冬は家の中にいても寒い思いをします。なので、どうしても家の中でも厚着をしてしのぐしかありません。

 

最初は早起きしようと頑張ってみたものの、まだ日が昇っていないうちに無理して起きるのは人間の摂理に反しているのではないか?、と思い、今では日が昇ってきてから起きることが多くなりました。体調はとても良く、日中でも眠くなることがありません。また、暖房費の節約にもなるから一石二鳥です。むしろ活動時間が短いから、より効率的に動ける気がしています。

 

そもそも、昔の人間は、太陽の日が昇ったと共に起きて、日が沈むにしたがって就寝するという生活を送っていたのです。文明が発達した今の世の中では、電気というものが発明されたために、夜でも活動できるようになり、その結果、多くの人間が体の生理に逆らって生活するようになったのではないかと思います。

 

今や有名人や事業家などがこぞって早起きを推奨し、それに関する書籍やYouTube動画でも皆が口を揃えて早起きを声高に叫んでいます。なんだか世の中全体が、早起き洗脳されているように感じていますが、果たして人生、そんなに沢山やることをやって、お金を稼いで、一体何を目指しているのだろう、と思うことがあります。また、聖書では、そんなことをやっても私達が死んだ後は天国にいけるとはどこにも書かれていません。

 

聖書によれば、人間にとって最も大事なことは、神様の命令に従って生きる、ということです。非常にシンプルです。しかし、人間はあれもこれもやりたがります。いつも神様と共に歩んでいれば、自分の人生にとって本当に大切なことが分かり、自然と活動も絞られてくるので、毎日慌ただしく、バタバタすることもなく、逆に時間に余裕が出てきます。

 

ネットやSNSなどを見ると、まるで沢山活動して、沢山お金を稼ぐことが成功者のように書かれ、皆がみんな、こぞって右向け右!で、同じようなことをしている感じがしますが、天の神様はそんなことで人間を評価される方ではないのです。たとえお金を沢山稼いで、どれだけ貧しい人などに尽くしても、それで天国に行けるわけではありません。

 

12月25日はクリスマス。クリスマスというのはそもそもイエス・キリストの誕生を祝うものですが、日本では商業化してしまっており、クリスマスの本当の意味を知らない人たちが大半です。これを機に、イエスの生涯を学んでみて、自分が死んだ後、本当に天国に行けるかどうかを考えてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

 

 

何があっても絶対に頼れるものをあなたは持っていますか?

私のモーニングルーティー

先日、関東で木枯らし1号が吹いたそうで、いよいよ冬が到来しそうですね。寒がりの私は、本格的に寒くなる前に紅葉狩りに出かけたいと思うので、来週を待たずして、明日天気が良ければ行ってみようと思います。

ところで、最近、モーニングルーティーンが流行っているようで、モーニングルーティーンに関する本や、億万長者のモーニングルーティンなどSNSで配信されているようですが、あなたのモーニングルーティーンは何ですか?

私のモーニングルーティーンは、朝起きて、まずは外へ出て20分ほどウォーキングをしますが、このところ、明け方が寒くなり、日の出の時間が遅くなったことから起きる時間も遅くなり、ウォーキングがおろそかになっています...^^;)

けれども、絶対に欠かしていないのは、朝の聖書朗読。

こうして、いつものように朝食のフルーツサラダを食べながら聖書を読んで黙想することを日課にしています。写真は、アメリカで購入した英語の聖書ですが、下段に解説がついているので、分からない時はそれを参照したり、ネットで検索をして理解を深めることができます。

これは私にとって、1日の中で一番落ち着ける時間です。聖書を読んで、その日1日のするべきことが示され、時には長い間連絡をとっていない知人に連絡するように促されたり、自分の犯した過ちを示されることもあります。そんな時は聖書を通して、どうしたらよいか示されます。

聖書を読むと、人間がいかに愚かで過ちを犯しやすい存在であるのかを思い知らされます。2000年前に書かれた本にも関わらず、人間のすることは、今も昔も変わらないのです。

ですから、生きるための道しるべとして日々聖書を読んで、神様からの指示を仰ぐことが重要になります。これをやっているのとやっていないとでは、その日の生き方が大きく変わります。

聖書を読んで1日をスタートすると、やるべきことや優先順位がはっきり示されるので、仕事の効率がむちゃくちゃ上がり、成果も出やすくなります。時になにか難問にぶち当たって、新しい発想が必要な時、神様に祈ると必ず新しいアイディアをふともらえたりします。

神様は全知全能のお方ですから、アイディアに枯渇することがありません。人間の小さな脳で考えることはたかが知れていますから、このとてつもない偉大な神様に寄り頼むと、どのような問題も解決されますから、どんなに大変で辛い時でも平安でいられます。

絶対に頼れるものを人は根本的に求めている

あなたには、絶対に揺らぐことのない完璧で何か頼れるものがありますか?あなたにとっては、それが親だったり、家族や友人、会社、地位や名誉、お金や財産だったりするかもしれません。

しかし、親や家族、友人も完璧ではありませんし、間違いを犯すことだってありますし、亡くなってしまえば、もはや頼ることはできません。会社はもはや終身雇用の場所ではなくなりましたし、会社の都合で従業員を解雇するのが日本でも当たり前となりました。地位や名誉は、状況が変われば、あっという間に失われるものですし、何よりも死後の世界では全く無意味なものとなります。お金や財産は、一生稼がないで暮らしていけるだけのお金があれば心配することはないと思いますが、災害や戦争などであっというまに消えてしまうこともあります。また、お金をもっているからといって、あなたがこの世を去った時、天国へいける保証は全くありません。お金は究極的には、私達の死後の魂のことについては何もしてくれないのです。実際、新約聖書のマルコの福音書10章25節によると、金持ちが天国に入るのはとてつもなく難しい、とはっきり述べています。

私達は全ての人達が罪を持っているが故に、常に不安定な世の中で生きています。特に昨今では、戦争や自然災害、感染症なども増えてきました。今では台湾有事が現実味を帯び、ロシアの核兵器の使用の可能性もあります。これらが起これば、日本が戦場になるのは時間の問題かと思われます。今後世界はますます先行き不透明な世の中となるでしょう。そんな時、あなたは何を頼りに生きますか?そして、あなたの死後、一体あなたはどこへ行くのか、はっきり分かっていますか?

人間は根本的に何か絶対的によりどころになるものを求めています。だから日本人の多くは、お寺だったり、神社だったり、先祖崇拝だったり、お金や名誉、暮らし向きの良さというものを拠り所にするのだと思います。しかし、聖書では人間の手で作ったものには神は宿らない、そんな小さなものに神は宿らない、とはっきり述べています。

基本的に多くの人間は非常に不安定なものを拠り所としているので、私達にはいつも心配や不安が尽きません。それに気づいている人達が一体、どれくらいいるのでしょうか?私達は、習慣だから、皆がやっているからという理由でろくに考えもしないでやっていることが多いのではないかと思います。かつての私もそうでしたが。

あなたにとって、何があっても絶対に頼れるものは何ですか?私はそれが、全知全能である聖書の神様であることを願っています。

 

 

 

 

 

両親との確執を乗り越えて

十数年ぶりに実家に行くことにしました


いよいよ秋になりましたね。そんな中、つい先日、ドリフターズの中本工事さんが横浜駅周辺で事故に遭い、お亡くなりになってしまいました。同じメンバーの志村けんさんが亡くなってまだ2年しか経っていません。そして、笑点圓楽さん、元プロレスラーのアントニオ猪木さん、と有名人が次から次へと亡くなり、人間の人生とは、なんと短く儚いものでしょうか。

新約聖書ヤコブ書4章14節に、人間はしばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です、と言っているが、その言葉をまさに思い出されます。

そんなことがあり、ふと、実家の両親が気になり、来週、久しぶりに会いに行くことにした。最後に会ったのは10年ほど前に横浜に来てくれた母親だけで、父親については、10年以上も前に仕事で出張に行ったついでに会って以来、会っていない。両親もいつ亡くなってもおかしくない年齢になったため、後悔しないためにも一度会っておこうと思い、電話をしたら母が出た。

久しぶりに実家に行きたいのだけれども、と伝えたら、電話口では母がとても嬉しそうにしていた。何か食べたい物があるか?と言われたが、母親の料理は全て美味しかったので、今すぐこれだ、というものが思い出せず、とりあえず手巻き寿司、と答えたが、それは料理ではないと言われ、なるほどと思い、また後で考えることにした。

私が何年も両親に会わなかった理由

こちらの仕事が忙しいということもあったが、私には下に妹が2人おり、その一番下の妹が高校生の時から引きこもり状態で、今も両親と同居している状態。ところが、何年経っても自立する気配がなく、こちらの助言にも関わらず、両親がそれに対して何ら抜本的な行動を起こさず、それに対して私自身がいら立ちを感じていたので、会いたくなかった、というのが正直な理由です。

また、私は子供の頃から両親がいつも喧嘩するのを見て育ち、また両親から嫌がらせや身体的な虐待を受け、理不尽な思いも沢山しました。妹達に対しては虐待することがなかったようですが、私が18歳で家を出てから、その矛先が一番下の妹に向いたようで、妹がこうなってしまったのは、両親が原因であることは間違いありません。

私は大学生の時、ようやく実家から遠く離れた大阪の大学で一人暮らしをしました。ようやく親から離れた解放感で自由を謳歌することができ、とても楽しくて充実した大学生活を送ることができましたが、一方で親に対する怨みがずっと消えず、時々夢に出てきてうなされるほどトラウマになっていました。しかし、イエス・キリストを知ることによって、許しを学び、あることがきっかけで一生許せないと思っていた両親を奇跡的に許すことができたました。しかしだからと言って、過去の嫌な出来事が消えるわけではありません。

ですので、妹の問題を直視するということは、私にとって子供の頃の過去をまたほじくり返されるような気がして再び怒りが沸いてくるかもしれないので、敢えて避けていた、ということもあります。

人として一番大事なことを実行する

しかし、そんな両親でも、親らしいことをしてくれた思い出は幾つかあります。全ての人間は罪を持っているため、良い面と悪い面の両方を誰でも抱えています。聖書にも書いてある通り、人間はだれ一人として、正しい人はいない、とはっきり述べています。皆、罪を持っており、神様のスタンダードでは誰一人として正しい人間はいないのです。

続けに起こった芸能人の死を通して、私の親もいつ死ぬかわからない。その時に、私は後悔しないだろうか?、と思ったのです。両親がもし明日、死んでしまった場合、この私が抱えている葛藤のために親に会いにいかなかったことを後悔するだろ、と思いました。自分は人として何をすべきか?、ということを考えた時に、やはり会いに行こう、と思ったのです。

私のモットーは、日々、後悔しないで全力で生きる、ということです。そうすることで、今日明日、いつ死んでも後悔することがないからです。

日々の仕事も大事ですが、私が今大事にしているのは、人との繋がり、そして自分の健康です。それらがあれば、お金はなんとかなりますし、生活もできます。人との繋がりが多ければ多いほど、何かあった時に助けてくれますし、孤独になることはありません。そして、自分が健康でないと日常生活がままならくなり、QOLが一気に低下してしまいます。健康はお金では買えませんが、健康であれば、お金は稼げます。

明日、死ぬとしたらあなたは何をしますか?

あなたにとって、今、一番大事なことは何でしょうか?今やらないと、きっと後で後悔することがあれば、決して先延ばしにしてはいけません。何故なら、私たちの命はいつ消えるのか、私達自身も知らないからです。

もし自分が明日、死ぬとしたら、何をやりますか?あなたの人生にとって、最も大事なのは何ですか?仕事ですか?お金ですか?家族ですか?それを考えたら、自分の人生にとって一番大事なことが見えてくるのではないかと思います。

 

 

 

権力者を批判する風潮

世の中が不安定になるほど権力者への批判が高まる

2019年に始まったコロナウィルス、そして今年始まったロシアによるウクライナへの侵攻、物価の上昇や円安による経済不安、そして地震やハリケーンなどの自然災害が世界各国で起こっており、今の世の中はこれまでに経験したことがないような不安定な状況に陥っています。

そんな中で、アメリカを始め、日本、イギリスなどの世界各国で指導者に対する批判がますます高まっているように感じます。7月に銃撃された安倍元総理に対する批判もそうですが、その後の岸田総理の支持率が軒並み低下しており、彼に対する批判も鳴りやまない状態のようです。

最近、旧約聖書の第2サムエル記を読んでいます。ここでは、人類史上最高の王ともいわれるダビデ王が、息子アブサロムの謀反によってエルサレムから脱出する羽目になり、その後の戦いにおいてダビデが勝利したものの、その後、イスラエルの間で言い争いが起こっていることが19章に記載されています。(サムエル記は本当にドラマのような出来事が書かれているので、興味ある方は是非読んでみてください。)

本来、世の中が不安定になり、危機的な状況に陥った時こそ皆の心が一つにならなければいけないのに、政情が不安定になると、何故か私達人間は権力者を批判したくなり、国民がバラバラになってしまう傾向にあるようです。

これでは、危機を乗り越えるどころが、更なる政情不安に陥るばかりです。

これらはやがて起こる恐ろしい出来事のほんの始まりにすぎない

聖書には、今後私たちに何が起こるのかを非常に正確に記述しています。その一つに、新約聖書のマタイの福音書24章の5~8節にこんなことが記載されています。

自分こそキリストだと名乗る者が大ぜい現れて多くの人を惑わすでしょう。また、あちらこちらで戦争が始まったといううわさが流れるでしょう。だがそれは、わたしがもう一度来る時の前兆ではありません。こういう現象は必ず起こりますが、それでもまだ、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、至る所でききんと地震が起こります。しかし、これらはみな、やがて起こる恐ろしい出来事のほんの始まりにすぎないのです。」

今、旧統一教会を始め、キリスト教だと名乗る偽キリスト教が数多くあります。また、ウクライナ侵攻を始め、シリア内戦、アフガニスタンの紛争などが起こっており、この地球上で紛争が絶えなかった時期はありませんが、今後ますます起こると思われます。国同士の対立、そして内部分裂も今後起こり、自然災害の増加で今後ますます混沌とした世の中になっていくことが既に予言されています。

自分をよくわきまえている人は幸いを得る

そんな中でも、自分自身をよく知っている人、自分の立場をわきまえている人は、このような不安定な世の中でも幸いを得ることが、第2サムエル記19章に書かれています。その人物として、ダビデを殺害しようとした前の王だったサウルの孫、メフィボシェテ、そしてダビデエルサレムを去る時に石を投げつけて激しく罵ったシムイが挙げられていますが、彼らは自分が置かれている立場や、自分が犯した過ちを素直に認めたために、ダビデからお咎めがなく、幸いを得ることができました。

そもそもダビデは、自分の部下の妻を奪い、かつその部下さえも殺してしまったという、とんでもない罪を犯しており、それだけでも十分批判の対象となりえるのですが、私たち人間は、そもそも間違いを犯しやすい、非常に罪深い性質があるということを知らなくてはいけません。

そのようなことを自覚しない人は、自分のことを棚に置いて相手を批判します。批判して、かつその対案を出すならまだいい方なのですが、対案を出せずに批判ばかりする人がどうも多いように思えてしかたありません。

かくいう私も、安倍政権に対して不満を持っていましたが、サムエル記を読んで、これではいけないということに気づきました。

不安定な世の中でも幸いを得て生きる方法

知らない人が多いと思いますが、実は聖書にはどのような状況下においても幸いな人生をおくるヒントが沢山書かれています。その一つとして、上に立つ権威には従いなさい、と新約聖書のローマ人への手紙13章1~2節で述べています。

「人は皆、上に立つ権威に従うべきです。神に由来しない権威はなく、今ある権威はすべて神によって立てられたものだからです。したがって、権威に逆らう者は、神の定めに背くことになり、背くものは自分の身に裁きを招くでしょう。

全ての権威は、自分が好む好まざるに関わらず、全てが神がお許しになって立てられたものだから、従うべきだというこということが述べられています。

これは、自分が従いたい気持ちだから従う、のではなく、神様がそう命じているのだから従うのです。そして、その方が私たちのために良い、ということを聖書では言っているのです。さもなければ、自分自身にその結果を招くことになり、私達はずっと不満を抱え不幸な人生を歩むことになってしまいます。自分で蒔いた種は、自分で刈り取らなくてはいけません。

自分の気に入らない人が上に立った場合、どうしても私たちは批判したくなりますが、私たちも欠点が非常に多い人間であり、他人から批判される側でもあるということを認識していれば、そうやすやすと他人を批判することはできなくなります。

自分の見方を変えるには

これはある意味、私にとって大事な発見でしたが、人を批判する前に、相手のことを良く知ることが、自分から理解してあげることが大事ではないかと思います。私達人間は全て心にバイアスがかかっていますから、相手のある一面しか見ていないことが多く、その人が心の奥深くで一体何を考え、思っているのかについては分かりません。

私たちは往々にして、自分が見たいように物事を見ていることが多く、実は自分が思っている以上に非常に頑固です。このような頑固な見方を変えるには、聖書を読んで神からの導きを得て自分を変えて頂くこと、そして自分が尊敬できる相手から助言を得ることもよいと思います。特に、自分の考えとは全く相反する友人を持つと、より広い考え方ができるようになると思います。

そのようにあらゆる意見を包括的に取り入れ、物事を深く考えることができる人は、どのような世の中にあっても自分を見失わず、心の平安を保てる人生が送れるのではないかと思います。私もそんな人間になれればと思います!