Keiko's Yokohama Journal

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日本のハンセン病患者に人生を捧げたイギリス人

5月23日から3日間、草津温泉に行ってきました!

上記の写真はかの有名な湯畑ですが、実は横浜に長く住んでいながら、草津は初めてでした。

その日に泊まった宿泊先は、湯畑から少し離れた標高1200メートルにあるホテルヴィレッジ。東京ドーム5個分入る広大な敷地内にあるホテルですが、建物は古く老朽化していました。草津の周辺ををよく見渡すと、古いホテルや老舗の旅館が多いですね。

それでも、内装はきれいにしており、まだ若いのに気を利かせてきびきび働くスタッフには感銘しました。またお部屋のバルコニーからの眺めが最高でした。

この夜、草津には何があるのか色々調べてみたら、ハンセン病患者に生涯を捧げたイギリス人の女性宣教師がいたことを知り、次の日、彼女の寄付で作られた頌徳公園(しょうとくこうえん)、草津バルナバ教会へ行くことにしました。

お天気の良い真昼間にも関わらず、頌徳公園には誰一人おらず、ひっそりとしていました。公園にはそのイギリス人宣教師、コーンウェル・リー女史の石碑がありました。


後で彼女の生涯について色々調べましたが、以下は彼女の日本に来てからの生涯の一部です。

  • 1857年生まれ。イギリスのカンタベリー貴族の一人娘で、51歳の時、日本でキリスト教伝道に生涯を捧げるため来日。東京と横浜、千葉を中心に伝道活動。
  • しかし、彼女の心は満たされず、どこか違うと感じた時に、1915年に草津市を訪問、ハンセン病患者の苦悩に満ち、荒れ果てた生活を目の当たりにする。彼女は当時既に59歳になっていたにも関わらず、残りの生涯をハンセン病患者に捧げる決意をし、草津に移住。
  • 移住の翌年に聖バルナバ教会を設立、また、親から受け継いだ膨大な遺産の全てを日本のハンセン病患者のために費やし、男性ホーム、女性ホーム、家族ホーム、学校や幼稚園など次々と建て、彼らの生活を保障し、教育も行った。
  • 当時、教会員数も500名を超え、洗礼を受けた人は千人を超えたという。

その後の彼女の人生は、Wikipediaにも記載されているので、そちらを見て頂きたいが、Wikiに記載されている通り、彼女はたった15年の間に膨大な数の施設を建てており、彼女の草津市への貢献は計り知れなかったことでしょう。一人の外国人が意を決して自分の人生を犠牲にし、遠い日本という国で病に侵され、虐げられている日本人に生涯を捧げるのは、並大抵の決意ではなかっただろうし、言葉の面からも相当苦労したと思います。

一方でふと、

日本人で、自分の全財産を投げうって、社会的弱者に尽くした人は果たしてどれだけいるだろう?

と思いました。お金を持っていながら、または自分の仕事をしながら慈善活動をする人達は多いが、全財産を全部投げうって自分の時間もお金も人生全てをそれに捧げる人にはお目にかかったことがない。けれども、そういう人達は自分達がやっていることを公にしないでやっていることが多いと思うので、私が知らないだけかもしれないが。

けれども本来ならば、日本人の間でこのような問題は取り組めるはずだったのに、外国人の力によってでしか改善されなかったことに対して、同じ日本人として何だか情けなくも感じました。

その後、聖バルナバ教会に行きましたが、教会は閉まっていて、その隣にある「リーかあさま記念館」は定休日で入れませんでした。残念ですが、また機会があれば行きたいと思います。

聖書には、「受けるよりも与える方が幸いである」という教えがあるが、果たして自分がどこまでそれができているのか、今後自分はどう生きていきたいのか、を考えさせられる旅でした。